2016年12月22日木曜日

オスカルの移籍に関して思うところ

 オスカルが中国へ行く。移籍金は6000万ポンドと極めて破格、そのあまりに眩しい数字を前にして首を横に振ることができるわけがない。

 この大金で何ができるだろうか。単独首位で迎える冬の移籍市場では大きな後押しとなる。CL出場収入を失ったクラブから見れば貴重な収入ともいえる。つい先日、クラブは最新の財務状況についてHP上で報告を行ったが、そこには過去最高収入を記録しながらも諸々の例外的な出費(モウリーニョ解任、アディダスとの契約解除、エヴァ訴訟)によって約7000万ポンドの赤字を計上したことが記されていた。オスカルの移籍金と今後彼に支払われるはずだったサラリーを合算すれば、この損失も十分に補填することができる。

 最高のビジネスだ。それなのに、この移籍をどこか受け入れられない。割り切れない。それは移籍先が中国だからでも、彼がまだ若いからでもない。


 チェルシーでのオスカル、と言われればだれもが思い出すシーンがある。ワンタッチでボヌッチをかわし、ピルロを欺き、ブッフォンに何もさせずにゴールを射抜いたあのシーンだ。そのゴールはファンタジーで満ちていた。ニューカマーの溢れる才能に誰もが心を躍らせた。

 だが、あれから4年も経過した今もなお、彼のベストモーメントは変わっていない。当時のチェルシーファンに「オスカルは4年後に移籍する。移籍金はなんと6000万ポンドだ。」と伝えたら、どう思うだろうか。移籍先はレアルマドリーか、バルセロナか。そのころにはマタ、アザール、オスカルの3銃士でどこまで世界をのし上がったか。どれだけ未来に心を躍らせるだろうか。しかしながら、残念なことに実際のシナリオは、4年間伸び悩み控えに成り下がった25歳が中国へ行くという想定しうる最悪のものだった。


 こうなるはずではなかったのだ。オスカルはチェルシーの宝石だったはずだ。どこで道を誤ってしまったのか。何がこの結果を招いてしまったのか。

 簡単に答えが出るものではない。キャリアを破壊するような怪我も、事件も彼には起きていない。アブ・ディアビのように、はたまたアダム・ジョンソンのように、直接的かつ明確な解答をオスカルに見出すことはできない。


 オスカルの4年間を振り返ろう。五輪での活躍を引っ提げて彼はロンドンにやってきた。64試合に出場し、12ゴール12アシスト。ファンは“マザカール”と前述の3銃士を呼び、彼らの織りなすファンタジアを楽しんだ。

 2シーズン目。チェルシーにモウリーニョが帰ってきた。モウはオスカルを“My No.10”と見定め、オフにコンフェデ杯を戦ったオスカルは前年度を上回る稼働を要求された。モウリーニョの要求は、攻撃的MFの本性ともいうべき創造性を犠牲にしてでも従順に、アグレッシブにプレスをかけハードワークを行うこと。その過程で要求を満たすことができず移籍へと至った選手もいた。結果、46試合に出場し11ゴール10アシスト。そして彼はオフにはそのまま母国開催のW杯へ出場した。

 シーズン中、彼は疲労からか明らかにパフォーマンスを落とした。事実、モウは自ら見定めた“My No.10”をそのシーズン最も重要だったCL準決勝アトレティコ戦の2試合ともに起用しなかった。明らかに序列が落ちていた。しかし、彼を待っていたのはW杯でのさらなる疲労とミネイロンの悲劇による絶望、そしてバルセロナから加入したセスク・ファブレガスだった。

 溜まる一方の疲労、失われていく居場所、来ることの無いオフ、求められるのは更なるハードワーク。オスカルの悪循環が止まることはなかった。3シーズン目、41試合に出場こそしたが7ゴール9アシストと大きく数字を落とした。彼が創出する決定機の数も試合を追うごとに減少した。

 4シーズン目に先駆けて、ここまでリオ五輪から3シーズンで合計188試合を休みなしで走り抜けていたオスカルに、初めてのオフが訪れた。しかし、この休息がチームに還元されることはなかった。チェルシーフットボールクラブはこのシーズン崩壊した。1か月の負傷離脱もあり、オスカルにできることはほとんどなかった。リーグ戦27試合出場3ゴール3アシスト。念願のオフを経てポジション再奪取に意欲を燃やしたシーズンは過去最低のものに終わった。

 5シーズン目、崩壊したクラブを救うべくコンテがやってきた。コンテが当初採用した4-3-3システムの中で、オスカルは自ら獲得したエナジーとハードワークでポジションを得た。しかし、チームが3-4-3システムへと移行する過程で彼は再びポジションを失った。そして、今に至る。


 さて、私にはどうしても解せないことがある。オスカルがユーベ戦で魅せたような彼のファンタジアは、現行の343の2シャドーで輝けないのだろうか。彼が自由の中で人と連動することで生まれる創造性はきっとそこで輝くはずだ。それに期待するファンもまだ少なからずいる。彼の武器は433で居場所を勝ち取った後天的なハードワークではなかったはずだ、ネクスト・カカと評された343で輝く生まれ持ったファンタジアだったはずなのだ。

 しかし、残念なことに、目の前の、2016年のオスカルはもう当時の彼ではないのだ。ここまでの過程の中で、彼はゲームに違いをもたらせる選手から、従順な労働者に変質してしまった。ハードタックルを見舞ってボールを奪い、ボールを持てば失わないことを第一に考えリスクを冒さないようになってしまった。伸び盛りの時期に“Mou's No.10”として振る舞うことを強いられ、過労の中で愚直なまでに走り続けたことで彼に満ちていたファンタジーは、すっかり枯渇してしまったのだ。

 もちろん、モウリーニョを批判するつもりはない。彼の仕事は「強いチェルシー」を見せることであり、2冠をもたらしてくれた。終わり方こそ残念だったが、モウは要求に応えてくれた。チェルシーというクラブにおいて1選手の成長とクラブの成功では、天秤かけるまでもなく後者が重要だ。分かっている、分かっているからこそやりきれないだけだ。


 断言する。この、今のオスカルはチームに居場所はない。6000万ポンドという大金は願ってもないお年玉、最高のビジネスだ。それでも、何故こうなってしまったのかと、勝手とはいえ思い描いてた未来との解離があまりに激しいことに、どうしても割り切れない思いでいっぱいになってしまうのだ。


 Telegraphも、Guardianもオスカルの中国行きをキャリアの破壊と批判した。私も残念には思う。だが、一方で相反する気持ちも持ち合わせている。オスカルは走りすぎている、オスカルと同じだけプレーし、走り続けた25歳が世界で何人いるだろうか。彼はすこし休むべきなのだ。キャリア通算8シーズン目にして既に365試合を戦った彼にとって、この中国移籍は長期の有給休暇みたいなものなのだ。

 常に批判する文脈でしか用いられていないが、オスカルはまだ25歳だ。しかし、逆に言えば、キャリアを取り戻す時間も十分にあるということである。オスカルにはいつか欧州に帰ってきてほしい、それがチェルシーでなくとも。ただ、休暇を経て、その時には枯渇してしまった彼らしさを取り戻していてほしい。あのユーベ戦のようなゴールをまた披露してほしい。


 オスカルが伸び悩んだという批判は存在してしかるべきだし、批判すること自体を否定する気はないが、自分は彼をそう批判する気にはどうもなれない。これだけ彼はチェルシーのために走り続けてくれたから。最後には、破格の移籍金まで残してくれたから。チェルシーのオスカルを見ることができて良かった。まだ背番号が11だった時に購入したユニフォームを大事にしたい。

 ありがとう、オスカル。願わくば、いつまでも青い血が流れ続けていてほしい。


0 件のコメント:

コメントを投稿